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「Full-moon-viewing.(out-of-season):(季節外れの)お月見。」

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02 /12 2020
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今日は何の日 2月12日


ペニシリンの日(2月12日 記念日)
1941年(昭和16年)のこの日、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功した。
ペニシリンは、1928年(昭和3年)にイギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミング博士(1881~1955年)によって発見された、世界初の抗生物質である。
発見後、医療用として実用化されるまでには10年以上の歳月を要したが、1942年(昭和17年)にベンジルペニシリン(ペニシリンG、PCG)が単離されて実用化され、第二次世界大戦中に多くの負傷兵や戦傷者を感染症から救った。
以降、種々の誘導体(ペニシリン系抗生物質)が開発され、医療現場に提供されてきた。
ペニシリンの発見は、しばしば「20世紀における偉大な発見」の中でも特筆すべき1つとして挙げられる。
「ペニシリン(Penicillin)」の名前は、フレミングがペニシリンを発見するきっかけとなったブドウ球菌の培養実験中のコンタミネーション(実験汚染)により生じたアオカビの学名「Penicillium notatum」に由来する。

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( ノ゚Д゚)おはようございます、今日は日常生活の話題ですが、以前から知り合いとの何気ないLineでの会話で、出来るだけ「起きて欲しく無い事」を「厄落とし」のつもりで冗談ぽく書いていたら、最近やたらと現実化してるので、正直少しビビってる「貧乏暇無」の小父さんです。
JR、再びクレジットカード使えず 早朝に
ホンの一例ですが、以前なら見られなかった記事、最近は此の手記事は頻繁に目にするし本当に増えましたネェ。
以前なら海外記事に多くて、外国の話なら仕方ない、とか思っていたのですが。
情報取集時にネットサーフィンして、ようやく見つけたと思った記事自体、子供の頃にした、影踏みの影みたいなところがあり、夕闇迫る中で怖いと思えば、鬼にも悪魔にも見えたり、自分自身が楽しい時には、天使にも見えた事に似てる様に思います。
見つけた時には、凄い記事だと思っても、冷静になって半日後に読んだら感動が薄れる事も、度々ありました。
実際には、記事を読む人の感情に左右される面があるのは否めないけど、其れらを割り引いても時代にそぐわない側面を内包する日本社会、また組織第一で現実問題の解決を後回しにしてる姿勢も如実で、更に混乱を加速してる様にも見えてしょうがないですけどネェ。

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今日の気に為る話題は此方です。

野村克也さん、名選手への道を築いた「毎日2時間の素振り」
2/11(火) 16:24配信SmartFLASH
野村監督

 亡くなった野村克也さんは、根性の人だった。
 野村さんは1954年、南海にテスト生として入団。
さして期待された選手ではなかった。
それが選手としては戦後初、捕手として初の三冠王に輝くなど、一流選手へと成長していった。

「ワシはテスト種目で遠投だけ自信がなかった。
で、一投めが合格ラインに届かない。
気の毒に思った先輩が『前から投げろ!』と。
それで5メートル先から投げてようやく合格。
インチキしての入団だったんだよ(笑)」

 一軍定着には時間がかかったが、野村さんはプロ入り後、決めたことがあった。
「やめるとき、悔いは残したくなかった」からと、毎日欠かさず取り組んだのが素振りだった。

「毎日、最低でも2時間は振ったけど、単純でおもしろくないわな。
それに『努力に即効性なし』だから、すぐに効果は表われない。

 あるとき、二軍監督に全員が手のひらを見せたんだけど、ほとんどが『なんだこの女みたいな手は』と怒られた。
そのなかでワシだけが『お~いいマメ作っとるな。
これぞプロの手だ』と褒められて、嬉しかったなあ。

 で、ようやく効果が出たのが1年めの秋季キャンプ。
それまで飛ばなかったボールが、軽くオーバーフェンスするようになった。
ワシ以上に驚き、注目してくれたのが当時の二軍監督。
それからだよ。捕手としての基本技術を教えてくれたのは」

 2年めは一軍の出場はなかったものの、3年めのハワイキャンプには二軍捕手としてはただ一人抜擢された。
当時、海外旅行すら珍しい時代で、先輩選手たちは練習もそこそこに、毎晩、夜の街に繰り出した。
そんななかでも野村さんは毎日の素振りを欠かさなかった。

 帰国後、故・鶴岡一人監督に、「キャンプは観光気分の選手ばかりで大失敗だった。
唯一、野村に使える目途が立ったことが収穫」と言わしめた。

 その後、開幕スタメンを勝ち取るも36打席ノーヒットなど、不名誉な記録を作る。
だが、それでも素振りをやめなかった野村さんは、4年めには定位置を獲得し、30本塁打を記録した。

「いまの選手は素振りをしない。
マシンでの打ち込みばかりやっとる。
でも、なんでも段階があるんだよ。
基礎、基本、応用の順。
基礎、基本(素振り)を飛び越え、すぐに応用(マシン)に入るからだめなんだよ。
22歳くらいまでは基礎を固めるべき。
それから応用にいっても遅くない」

 努力を積み重ねたからこそ、球界に名前を残す名選手、名監督になれたのだ。

【関連記事】
亡くなった野村克也さん、本誌に語っていた「監督人生」
亡くなった野村克也さん、野球人生にはいつも「ボヤキ」が

最終更新:2/11(火) 16:24  SmartFLASH

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「お疲れ様でした。」、「あぶさん」の頃からファンでした、御冥福をお祈りします。
昨日の「ブログ表題」である「An evening primerose.:宵町草」の「二つ名」は「月見草」、まぁ単純に「ふくろい夜宵(よるよい)プロジェクト」からの発想でしたが、僭越ながら時期的に此方も、浅からぬ縁を感じています。
野村克也



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芭蕉俳句: 雪や砂馬より落ちよ酒の酔  (ゆきやすな うまよりおちよ さけのよい)

時代背景&解説: 貞亨4年44歳。
『笈の小文』の旅の途次、酒好きの越人と一緒に伊良子の杜国を訪ねる道すがら、越人は酔っ払ったまま馬の上で居眠りを始めた。
それを見ている芭蕉は気がきではない。
伊良子岬に門人杜国を訪ねる旅の途次、天津縄手<あまつなわて>と呼ばれる道を行く。
渥美湾から吹き上げてくる季節風は砂混じり雪まじりの強烈なもの。
同行の越人は酒に酔っ払って居眠りしながら馬に揺られている。
越人の酒の酔いが冷めてくれればよいのだが。。。


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