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夕焼けの歌。

日記
07 /30 2015
朝

安全

花


こんばんは、この茹だる様な暑さ、その暑さに比例してか、神経質でヒステリックなマスコミは、連日事件事故報道を垂れ流すのみですねぇ(^-^ゞ。
一応、自家用車の自衛・安全の為に購入したドライブレコーダーも絶好調、自分自身は暑さでヘトヘトながらもブログ更新です。



朝2

花2

路2

今日の気に為る話題は此方です。

<復興の風景>運転士に夢膨らませ/三陸鉄道
河北新報 7月30日(木)15時5分配信

<復興の風景>運転士に夢膨らませ/三陸鉄道
車内の窓を拭く沼崎さん。「気持ち良く乗ってもらうため気は抜けません」=久慈市川崎町
 ◎岩手知事選を前に(6)

【忘れないあの日】多くの犠牲者を出した岩手県山田町中心部

 
  赤と青のラインが入った白い列車が帰ってきた。岩手県久慈市にある第三セクター三陸鉄道の車両基地。4月に運転士候補生として入社した沼崎龍聖さん(18)が、車内の清掃を始めた。

  作業は洗車や給油、連結にまで及ぶ。先輩から手順を教わる日々。「安全を支える仕事に責任を感じる。一日も早く覚えたい」とやりがいを語る。

  通っていた岩手県立宮古商高で望月正彦社長の講演を聞いた。「全線復旧までの道のりを聞き、復興に貢献したい」と入社を決めた。

  故郷は岩手県山田町。よく乗ったJR山田線(宮古-釜石間、55.4キロ)が2018年度にも復旧し三鉄に移管される。「今度は自分の運転で多くの人を運びたい」と夢を膨らませる。

  運転士免許を取得できるのは20歳から。「三鉄は地域に愛される鉄道。勉強を続け親しまれる運転士になります」と笑顔を見せた。

             ◇   ◇   ◇

  復興の針路を問う岩手県知事選(8月20日告示、9月6日投開票)を前に郷土再興へ歩む人々を訪ねた。

 (盛岡総局・佐藤将史)

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最終更新:7月30日(木)15時33分河北新報


路

優勝おめでとうございます。

花4


カール

パブリカ

それにしても、フルーツパブリカは美味しかったです。

パブリカ

夏ま盛り、イタリアンレッドは終了ですね。

トマト

はたして40年後には・・・・ブログ更新後暫くして、こんな記事も見つけたので掲載します。

<ジミー・ペイジさん>原爆慰霊碑に献花 44年ぶり再訪

毎日新聞 7月30日(木)20時24分配信


<ジミー・ペイジさん>原爆慰霊碑に献花 44年ぶり再訪

降臨

原爆ドームを訪れた元レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジさん=広島市中区の平和記念公園で2015年7月30日午後0時46分、山田尚弘撮影


 1970年代に活躍した英国の伝説的ロックバンド「レッド・ツェッペリン」のリーダーでギタリストのジミー・ペイジさん(71)が30日、44年ぶりに広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。ペイジさんは、80年に解散した同バンドのCDの発売プロモーションのため来日。被爆70年の節目として再訪を希望した。

【写真特集】ジミー・ペイジさん 原爆慰霊碑に献花

 同バンドは71年の初来日時に広島市でチャリティーコンサートを開き、売上金約700万円を市を通じて被爆者に寄付した。当時、メンバーたちは「戦争を知らない私たちの心にも、人類が原爆を落としたことへの恥ずかしさがある」と語った。

 2度目の訪問で原爆ドームも見学したペイジさんは、松井一実市長から原爆慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の文言を世界に広めてほしいと求められ、「もちろんだ」と快諾。「前回と同じように謙虚な気持ちになれた。あの日から70年たつが、広島に原爆が落ちたことは全世界の人が思い続けている。平和を祈り続けていきたい」と話した。【田中将隆】

 ◇感動残した1971年公演

 「彼らは広島に来るために日本に来ました」。名アナウンサーの糸居五郎さん(故人)の紹介でロックバンド「レッド・ツェッペリン」の4人が姿を現すと、観客約5000人の熱気は最高潮に達した。

 1971年9月27日、広島県立体育館(当時)で開かれた「愛と平和チャリティーコンサート」。当時中学2年でステージ正面から公演を見た同県廿日市市のイベントプランナー、河村真作さん(58)は「平和を呼び掛けるだけでなく、実際に被爆地まで来てくれたことに感激した」という。

 初来日したメンバーは、東京に次ぐ公演先に被爆地の広島を選んだ。山陽新幹線の開通前で、東京からは長時間を要した。「天国への階段」など14曲が披露され、興奮して舞台に上がった観客をなだめるため、メンバーが演奏を一時中断する一幕もあったという。

 「4人の演奏に圧倒された」という河村さんは、コンサートを機に音楽の仕事を志し、今はフリーでライブイベントの企画などをしている。「被爆2世の友人も多く、当時は原爆被害がリアルに感じられた。ジミー・ペイジは復興への勇気を与えてくれた。再訪は『広島を忘れてはいない』という大きなメッセージになる」と喜んでいた。【田中将隆】
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最終更新:7月30日(木)22時7分

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