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時差睡魔か?!

日記
12 /18 2017
道

気温

今日は何の日 12月18日

東京駅完成記念日

1914年12月18日の東京駅完成に由来します。
東京駅は日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年から建設工事が本格化し、6年かけて建設されました。

丸の内駅舎を設計したのは、日本の近代建築の父と呼ばれる建築家の辰野金吾氏。辰野氏が「堅固」と称するほど、当時としては最高の耐震対策を施した駅舎でした。しかし、建物への致命的なダメージは避けながらも、関東大震災では屋根の一部が崩れ、1945年の東京大空襲では3階部分と屋根のドームが焼け落ちてしまいました。

その後は応急処置的な工事で使われ続けましたが、2007年にようやく「東京駅丸の内駅舎保存復原プロジェクト」がスタート。文化財の修復では建てられた当初の材料を使用するのが原則となっているため、手間と時間がかかる作業となりました。

現在の東京駅で皆が上を見上げて写真を撮っているのが、丸の内北口と南口のドーム型の天井。この天井の八角形の各点をよく見ると、鷹がいるのです。この鷹は稲穂を持っているのですが、日本の稲作が稲穂を持った鷹によって始まったという伝説にちなんでいるそうです。  (ついランより転載)

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(´・Д・)」おはようございます、何故か交代勤務の変わり目の日には、特に夜勤と昼勤への交替時に、季節のせいか睡魔が来る時間帯が普段よりも随分とズレていて・・・・。
多分、年齢のせいや疲労が蓄積している事もあり、土曜日、日曜日に起こり易い現象で、昨夜などは午後八時前に強烈に眠くなり、準備万端で布団に入りテレビを見ながら就寝しました。

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疲労を蓄積したまま年末年始を迎えるのは流石にNGなので、遠鉄百貨店でマッサージしようと駅前に行きました。
まあ皆さん考える事は同じなのか、遠鉄百貨店新館7Fのラフィネさんは当日は予約で一杯だったので、
来週の「クリスマスケーキ」受け取り前に予約して帰りました。

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今日の気に為る話題は此方です。

<東日本大震災>「つらくても伝える」大川小生存の18歳
12/17(日) 20:34配信 毎日新聞

<東日本大震災>「つらくても伝える」大川小生存の18歳
震災の記憶や防災への願いを語り合う大川小卒業生の只野哲也さん(右)と児童遺族の佐藤敏郎さん=東京都大田区で2017年12月17日、

 東日本大震災の津波で児童・教職員84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校で、奇跡的に助かった只野哲也さん(18)が防災を語るイベントが17日、東京都大田区で開かれた。今月から伝承活動に取り組み始めた只野さんは「もう7年、と遠い過去のように忘れてほしくない。つらくても声に出して伝えていく」と決意を語った。

 子どもの防災活動に取り組む仙台市のNPOが主催。現在高校3年の只野さんは小学5年だった当時、現場で津波にのまれ助かったが、妹と母、祖父を亡くした。高校では柔道部主将として部活動に専念し、大勢の前で震災について話すのは約2年ぶり。

 只野さんは今月10日、イベントの聞き手役となった同小児童遺族の佐藤敏郎さん(54)に誘われ、被災校舎前で初めて語り部活動に取り組んだ。「直接人に伝える力が大事だとわかった。(佐藤さんら親世代のように)少しでも語れるようになりたい」と力を込め、自分より若い子供たちに「楽しい学校生活が送れるよう、防災訓練に取り組む意識を変えてもらえたら」とメッセージを送った。【百武信幸】

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津波対策 大川小教訓、生かさず 小学校の過半数研修なし

最終更新:12/17(日) 20:56
毎日新聞

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相変わらず人が多く、昨日はGoogleHomeの広告が印象的な、ビックカメラです。

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愛車は「頭文字 D(Mazda デミオ)」の「やっとこ」です、徒然なる日常を一言日記風に綴り始めて8年越え、現在は写真日記風備忘録です。
一応、自作パソコンから家庭菜園までの趣味を叔父さん目線で綴る日々、俳優・山田孝之さんとは別人、お気軽にお寄り下さい。