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久しぶりに、Tea Break2018.

日記
01 /14 2018
イオン

気温

今日は何の日 1月14日

左義長(さぎちょう),どんと焼き,どんどん焼き

正月に飾った正月飾りや書き初め等を燃やす。8日や10日に行う地方もある。

wikipedia - 左義長 
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。
その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。
また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。

飾納,松納

正月飾りや門松を取り外す日。
十四日年越し

小正月の前日に当るため、昔は年越しの日として祝っていた。


蒼穹

イオン4

m1

m2

今日の気に為る話題は此方です。


吉川晃司、ミュージシャンの枠を超えて輝き続ける理由

1/14(日) 9:10配信    otoCoto

吉川晃司、ミュージシャンの枠を超えて輝き続ける理由

1

吉川晃司

ソロでもCOMPLEXでも多くのヒット曲を持ち、NHK大河ファンタジー『精霊の守り人』では重厚な俳優として演技し、CMでは魅力的な大人としてフィーチャーされる。吉川はなぜ、こんなにも多方面で輝き続けることができるのだろうか。

吉川がデビューした1984年は、音楽シーン激動の時期だった。
前年の1983年にデビューしたチェッカーズは、84年にブレイクすると、ベストテンに3曲を送り込み、チャートを席巻。
83年末にデビューした尾崎豊は、84年に精力的なライブを展開して、85年の「卒業」でのブレイクを待っていた。

そんな中、吉川は映画『すかんぴんウォーク』と、その主題歌「モニカ」で俳優&歌手として同時デビューを果たす。
そのド派手な登場は、シーンの度肝を抜いた。
世界ジュニア選手権に日本代表として出場するほど優れた水球選手でありながら、ロック・スターに強い憧れを抱いていた。
体育会系のガッツと、エッジーなアート志向を併せ持つキャラクターは、空前絶後。
ユニークな存在感で、吉川はあっという間にスターダムにのし上がったのだった。

この派手な登場は、吉川に大きなアドバンテージを与え、今に至るまで彼の運命に大きく関わっている。
というより、吉川はこの“派手な登場”によって立ちはだかることになった壁と、ずっと闘ってきた。
実は、その真向勝負の姿勢が、彼が輝き続けることができる最大の理由でもあるのだ。

デビュー当時の吉川は、音楽に専念したくて仕方がなかった。
が、芸能界最大の事務所“渡辺プロ”の方針で映画も続けなければならなかった。
おそらく吉川は、音楽を自由にやらせてもらうために、映画にも全力投球していたのだと思う。
この体育会的な律儀さが、彼の個性の一部を確実に形作っている。
だからこそ吉川は、音楽的刺激にも貪欲になっていった。
僕は彼の2作目の映画『ユー・ガッタ・チャンス』の時に初めてインタビューした。
音楽雑誌のインタビューを、彼はとても喜んでいた。
とにかく音楽の話をしたくて仕方なかったのだ。

なので、彼にとって10代のシンガーソングライターとして成功を収める尾崎については、思うところが大きかったのだと思う。
結果、二人が親友になったのは、“80年代音楽シーンの奇跡”と言っていい。
僕は吉川&尾崎の2ショットを何度か見ているが、二人にしかわからない感情がそこにあったのだと思う。

吉川は、アイドル扱いされることに反発を隠さなかった。
その反発から来る歌番組でのヤンチャぶりは、当時の若い音楽ファンを驚かせ、かえってファンになった人も多かったのではないかと思う。

3作の映画を大ヒットさせた後、事務所社長の最後の要請を受けて、もう1作、映画の主演を務める。
そうして吉川は、ついに音楽に専念できることになった。
彼は、ライブ・アーティストとしての才能に満ち溢れていた。
それは間もなく到来する“ライブの時代”に適合していて、他のライバルに圧倒的な差をつける要因になる。
高い身体能力からくるアクションや、独特のダンススタイルを開発して、誰にも真似できないパフォーマンスで音楽ファンを魅了していった。

僕は初期の頃の野外ライブを何度も見ているが、85年夏の昭和記念公園でのパフォーマンスは忘れられない。
遠目で見てもグルーヴとメロディが“身近”に伝わってきて、吉川にはビッグスケールの会場がよく似合うと思ったものだ。

音楽に専念してからの吉川は、彼に楽曲を提供してきた佐野元春(「すべてはこの夜に」)や大澤誉志幸(「ラ・ヴィアンローズ」など)らのトップ・アーティストとの作業から学び、自らも作詞作曲を始める。
マニアックになることなく、オリジナルなポップスタイルを確立していく。
5作目の傑作アルバム『A-LA-BA LA-M-BA』(87年)には、ゲスト・ギタリストに布袋寅泰が参加。
バンドブームが急激に盛り上がるタイミングで、ロックシーンに接近していく“運”と“勘”は、特筆に価する。

ここで面白いのが、その時期、“1965年生まれ”のアーティストが注目を集め始めていたことだった。
ユニコーンの奥田民生、ジュンスカの森純太、ザ・ピーズの大木温之など、バンドブームを牽引するミュージシャンたちが出そろう。実は吉川も尾崎も65年生まれで、彼らは10代デビューを果たしていたが、同じ年生まれの才能がバンドという形をとって合流してくるのは、何とも宿命めいていて興味深い。
そしてバンドに憧れていた吉川は、88年、布袋とCOMPLEXを結成し、89年に「BE MY BABY」でデビューする。
バンド・シーンに衝撃を与えたこのスーパー・ユニットは、ある意味、吉川が壁と闘い続けてきたことの一つの結果だと言えるだろう。
吉川は、今の輝きにつながる音楽的存在理由を、また一つ、手に入れたのだった。

それから20年以上が経って、2011年に東日本大震災が発生。
その直後から、吉川は被災地でボランティア活動を開始。
匿名で、時間の許す限り現地に通ったという。
間もなく“COMPLEX再結成”のニュースが流れたのだった。
2011年7月に、解散ライブを行なった東京ドームで2日間のチャリティ・ライブを開催。
わずか2年という短命に終わったユニットが、時を経て、日本中にその心意気を示す大事件だった。
偽善を嫌う吉川のいさぎよい姿は、多くの人の心に刻まれ、これもまた彼の輝きに真実を与えることになった。

COMPLEX以降、再びソロ活動をスタートさせた吉川は、コンスタントなアルバム・リリースとライブを行なう。
並行して、2000年あたりから俳優としての活動を再開する。
同じ時期、吉川は中国史などに関する歴史書を、むさぼるように読んでいた。
“人間”というものに対する考察が俄然、深くなったことも演技再開のキッカケになったのではないかと思う。

2001年、三池崇史監督の『天国から来た男たち』で主演を務める。
三池はナタの一刀彫のように映画のキャラクターを削り出していくが、その対象として選ばれた吉川は、俳優としての頑丈さを認められたのだ。

2004年に映画化された高村薫の小説『レディ・ジョーカー』に出演した際、プロモーションのためのトークショーのナビゲーターを僕が担当した。
そのとき、吉川の“人間心理の読み”の深さに驚かされたものだ。

一方で、2009年には『仮面ライダー』シリーズに乞われて出演する。
特徴的な体躯と、それをどう扱うかをよく知っている吉川ならではの役作りが評価されたのだと思う。

俳優としてばかりでなく、NHKの歴史番組に起用されるようになったり、2000年代は吉川のキャラクターに新しい側面が次々に追加されることになる。
これらはデビュー当時にはなかったもので、彼が真っ直ぐな闘いの中で身に付けてきたものだった。

こうして10代のスーパーヒーローから始まった吉川のストーリーは、誰も予想しえなかった展開を迎える。
吉川は、ミュージシャンとしても、俳優としても、“自分にしかできない”ことを発見する。
以前であれば、自分にしかできなくても、気に入らなければトライすることはなかった。
それが年齢を重ねるごとに、嬉々としてチャレンジするように変わっていった。
その理由は、いろいろな意味で自信がついたからだろう。
2010年代の吉川は、“チャレンジングなアラフィフ”として輝くことになっていった。

2018年1月に封切られる映画『劇場版 マジンガーZ/INFINITY』のエンディングテーマを吉川が担当すると聞いて、僕は吉川晃司のキャリアの“続編”としてとても納得がいった。
もしこのオファーを“19才の吉川”が受けたら、どう思うのだろうと想像してみた。
もしかすると19才の吉川は、自分に似合い過ぎる“マジンガーZ”に拒否反応を起こしたかもしれない。
しかし、今、「子供の頃は“マジンガーZ”のファンだったので、嬉しい」と引き受けた理由をすがすがしく語る吉川は、とても素敵な大人の魅力にあふれている。

そして今、吉川の持っている自信の根拠は、ライブにある。
現在、吉川のライブバンドは、歴代最高のメンバーで構成されている。ギターはNothing’s Carved In Stoneの生形真一とTHE YELLOW MONKYのEMMA、ベースはthe HIATUSのウエノコウジ、ドラムは奥田民生率いるMTR&Yの湊雅史、キーボードはホッピー神山という面々だ。
湊はDEAD END、ホッピーはPINKというバンドブームの裏番長的なバンドに在籍していた剛腕で、両者が同じバンドでプレイするのは非常に珍しい。
ロックを愛し続けてきた吉川が、ついに手に入れたメンバーとツアーすることで、独自のスタイルに磨きがかかった。
吉川はこのバンドで、1月にまたライブを行なう予定だ。

立ちはだかる壁に真正面から挑んできた吉川晃司には、数多くの輝き続ける理由がある。
下の世代からも、上の世代から見ても、前代未聞の50代アーティストであることは間違いない。
そしてこの輝きは、まぎれもなく彼自身のものだ。

文/平山雄一

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最終更新:1/14(日) 10:05
otoCoto

壁から逃げ続ける殆ど凡人の私には、昔よりも輝いて見える人は、とても魅力的ですね?!

イオン3

イオン2

おはようございます(^-^)/、普段通りの日曜日らしく買い物しました。

年末年始の怒涛のイベント・「バレンタインデー」のショーケースから、
久しぶりに逃れる様ひっそりと、多少の疲労感を感じたので一息入れました。

「イオン市野ショッピングセンター」の「ミスタードーナツ」へ、素敵なシェフの看板に魅せられて寄りました。

ミスド

ミスド2

最近ではコンビニでのドーナッツ販売が終息していたので、懐かしさもあり、
ほぼ一年ぶりに「シューショコラ ダブルショコラ」を美味しく頂きました。

ミスド3



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愛車は「頭文字 D(Mazda デミオ)」の「やっとこ」です、徒然なる日常を一言日記風に綴り始めて8年越え、現在は写真日記風備忘録です。
一応、自作パソコンから家庭菜園までの趣味を叔父さん目線で綴る日々、俳優・山田孝之さんとは別人、お気軽にお寄り下さい。